2020-03-10 第201回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第3号
予定をしておりました政府主催の東日本大震災追悼式は、コロナウイルスの感染拡大を阻止するために、残念ながら、やむを得ず取りやめとなったところでございます。
予定をしておりました政府主催の東日本大震災追悼式は、コロナウイルスの感染拡大を阻止するために、残念ながら、やむを得ず取りやめとなったところでございます。
来年は十年の節目を迎えることとなりますけれども、先日、菅官房長官は、政府主催の東日本大震災追悼式は来年までとするという方向で検討する、そういったお考えを明らかにされました。この方針を聞かれた被災自治体の皆様方、これは大変残念に思われているのではないかと存じます。来年は十年の節目だからといって復興支援に一つの区切りというものをつけてしまうのは、私はいかがなものかと思います。
この東日本大震災追悼式の資料については面白い事実も出てきております。資料を御覧ください。 しんぶん赤旗日曜版の情報開示請求で出てきたものです。二〇一二年、一周年のときの受付票、印刷・ナンバリング内訳です。これを見ますと、受付区分十は国会議員、二十は大臣や最高裁長官、三十は遺族代表。これ、桜を見る会の受付票とそっくりですね。この区分番号、八年間同じですか。
このため、東日本大震災追悼式の参加者名簿については、保存期間を一年と設定し、保存期間満了後に国立公文書館に移管することとしております。(発言する者あり)あっ、今までですか。今、私申し上げた、保存期間一年として、保存期間満了後は国立公文書館に移管しているということです。(発言する者あり) ちょっとよろしいですか。
私は、ことしも地元の南相馬市東日本大震災追悼式に参列いたしました。八年前に当時五歳だった息子さんを亡くされた斎藤誠さんが遺族代表でお言葉を述べられました。 震災後にお生まれになった六歳の息子さんと登壇をされて、そして、お言葉を涙ながらに述べられ、その言葉は、会場にいらっしゃった全ての皆様方の心に、胸に突き刺さったというふうに思います。
今年の東日本大震災追悼式で安倍首相は原発事故という言葉を一言も使わなかったことに対して、原発事故を終わったことにしようとしているのかと批判の声が次々上がって、福島県知事は、県民感覚として違和感を覚える、原発事故、原子力災害という重い言葉、大事な言葉は欠かすことができないと述べています。大臣の所信にも原発事故という言葉が一言もありませんでした。原発事故による被害は終わっていません。
今村大臣の暴言だけにとどまらず、今年の東日本大震災追悼式で安倍首相は原発事故に言及しませんでした。原発事故を終わったことにしようとしているのかと批判の声が次々上がりました。これらのことは単なる言葉や態度の問題ではありません。住宅無償提供を打ち切ったことを含め、福島を切り捨てる安倍政権の姿勢があらわになったものではありませんか。官房長官、お答えください。
○岸田国務大臣 中国が第二回の東日本大震災追悼式以降欠席していることについては、我が国としまして、これは大変残念に思っておりますし、この旨は中国にも伝えています。そして、先ほどの議論の中にも出ておりましたように、中国は東日本大震災に対して、政府及び国民の方々から多大なる支援をしてくれています。このことについては感謝をしているところです。
大臣も、政府主催の東日本大震災追悼式に出席されていたことだというふうに思いますが、私は、この南相馬市の追悼式終了後、御遺族の皆様、そしてまた地域の代表の皆様とお話をさせていただく機会がありました。そして、新たな課題についてもお伺いすることができました。
一昨日、被災地の東日本大震災追悼式の方に参列してまいりました。私も、震災当日、あの大津波が襲った仙台空港の近くで被災をいたしました。すぐに、行方不明となった仲間を捜しに被災現場に行き、そこに横たわっている御遺体、そしてまた、見つかった御家族の御遺体にすがって泣くあの姿をいまだに忘れることができません。
先日、多くの議員の先生方と一緒に東日本大震災追悼式に参加をさせていただきました。被災地を代表して、被災者の皆さんのあのお話を聞いて涙が止まらなかった、私だけではないんじゃないでしょうか。また、天皇陛下の慈愛に満ちたお言葉に、私は本当につくづくこの天皇制、今戴いている有り難さ、日本のその伝統文化、きずな、心と心で支え合っていくということの大切さということを感じました。